大崎耕土支援プロジェクト「鳴瀬川流域調査②中流域」(令和3年7月14日)
6月9日の下流域調査に続き、中流域調査を行いました。
2回目の今回は、佐藤先生と養護教諭の内海先生がサポート車両として協力していただき調査を行いました。また、野田橋付近からは、本校で社会の講師をしている阿部先生が自転車で合流しました。阿部先生は、野田橋から感恩橋間の河川サポーターとして、河川の変化をウォッチしているということで参加していただきました。大崎市の館山公園をスタートし、学校そばの感恩橋をゴールとする約18kmの行程です。
スタートしてすぐのところに桑折(こおり)江堰があります。前回調査した下流域は、品井沼や名鰭沼をはじめとした湿地帯を干拓し、新田開発する地域でしたが、中流域は「鳴瀬川右岸の丘陵地帯(三本木、松山地域)の農地にいかに水を引くか」という意味での治水がテーマの地域です。桑折江堰及び、学校近くの中流堰は、堰で一旦水位を上げ、鳴瀬川両岸の農地に用水を供給するために造られた堰です。両堰ともに当初は石積みのようなものでしたが、現在は写真のように立派なもので、車が走ることのできる橋もあります。また、環境に配慮し魚道も整備されています。この付近の上伊場野地区には、伝統野菜の伊場野芋(里芋)があります。大きな畑があるかと思い、目をこらしましたが、里芋畑はほんの少し。やはり、生産量からも希少なのだと感じました。
桑折江堰を過ぎると、支流の多田川が合流し、もう少し行くと新江合川が合流します。新江合川は、江合川増水が原因で、涌谷地域が洪水に見舞われた歴史があり、それを避けるために江合川の水を鳴瀬川に流すために掘削された河川です。堤防は立派ですが、普段は小川程度の流れしかありません。
しばらくすると、志田橋。志田橋をからしばらく走ると野田橋が見えてきます。この間の農地の様子は、左岸(川の北側)は川のすぐ脇は畑地でしばらくすると水田になります。右岸は水田地帯が広がり、ため池が点々としています。水の確保に知恵を絞った歴史が分かります。野田橋から感恩橋までは一気に走り抜けました。
私たちが何気なく生活し、通り過ぎている、鳴瀬川中流地域も、農地と水、そしてそこで育まれている生活を思いながら走ると、いつもと一味違うものになりました。
館山公園を出発 桑折江堰の魚道
桑折江堰からひかれる用水 中流堰
左岸の北側(写真右)には畑地 野田橋から阿部先生も合流
翌日の振り返りの板書